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文明溶岩①・昭和溶岩

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 園山公民館の建物の先のカーブを過ぎたあたりから文明溶岩地帯に入ります。この溶岩を流した「文明大噴火」というのは前述の4回の大噴火のうち最も古いもので、1471年~1476年にかけての噴火です。ここ一帯の溶岩は1471年に流れ出たものです。道路が絶対値のついた一次関数のグラフのようになっている(上の写真)のも溶岩が形成した地形のためですね。

 

 昭和時代にも溶岩流出を伴う大噴火があったというのは意外かもしれません。終戦後すぐ、1946年3月に発生しました。もちろん他の3つより規模はかなり小さいです。この時の溶岩を流し出したのが昭和火口です。昭和火口から東側に流れた溶岩は鍋山で遮られて南北に分流し、北側に分かれたものがこちら側です。黒神小学校、黒神保育園の先が昭和溶岩帯になるのですが、その手前が文明溶岩帯なので植生の回復の違いが分かるかもしれません。

 一度溶岩に埋もれてしまうと当然植物はなくなりますが、ゆっくりと時間をかけて自然と回復していくのです。初めにコケ類が生え、その後ススキ・シダ→クロマツ→アラカシ→シイ・カシと常緑広葉樹林、照葉樹林に戻っていきます。昭和溶岩はまだ噴火から70余年しか経っていませんので、500年以上経過している文明溶岩の植生と比較すると木が小ぶりであるのが分かると思います。

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